私のマーシレベルは無限大という本を書きました。以前から、どのようにすれが自分が変われるのかちうテーマで考えてきたことの一つの方法として、相手が自分をどう思うのか、また自分は相手をどう思って仕事をしているのかを観察したことがあります。そのときの経験をもとに、結局は自分が変革し、仕事ができる要件を身に付けていくことが必要だと考えたことが本書を書くきっかけになりました。相手の立場に立ち、立場を理解しながら、自分がどのように仕事をしてけばよいのか。自分のミッションを果たしていけばよいのかについてを体系化しました。つたない本ですが、その前書きをご紹介します。
「もし、地球に自分ひとりしかいないのであれば——。ある日、自分以外の人が街から突然消滅してしまったらあなたはどうしますか?誰の助けも借りず、自分ですべてを決めて行動し、生きていかなければなりません。まず、生きていくための食料や水を確保します。スーパーに缶詰やペットボトルなどが残っている間はいいですが、なくなれば自分で確保しなければなりません。種苗店から種を持ちだして栽培を始めたり、魚釣りや野生動物の狩りに行ったり、湧き水を探す、川の水をろ過するなどが日常になっていくでしょう。そもそも電気やガス、水道のインフラは停止し、石油やガスコンロのガスもいずれなくなりますので、火をおこす術を身に付ける必要があります。
当初、ガソリンが手近にある間は、自動車やバイクも動きますが、そのうちそれもできなくなります。最終的に移動は自転車ということになるでしょう。もちろん、壊れたときには修理も自分がします。
健康でいないと、病院に行っても何がどの薬かわからないので、治療薬辞典は手放せません。薬のある間はいいですが、なくなれば大変です。地位があっても、お金持ちであってもここでは何の役にも立ちません。本は読み放題ですが、得た知識の全てをつかう場所もありません。出世したつもりになって社長の椅子に座って満足しても、会社自体が機能していないので意味がありません。他に人がいないので、他人と接するのが嫌いな人の要求は満たされますが、二度と誰とも会話ができないことは、苦痛以外のなにものでもありません。自分に何の役割もない、他人との接点もない、会話もない社会にどれだけ住んでいられるのか、想像してみてください。こうして考えると、私たちはとても恵まれた、便利な社会で生きているのだと気づきます。また、人との接点がいかに愛おしいものかもわかります。長い歴史をかけて人が文明を起こし、文化をつくってきました。物をつくり、産業を育成し、制度をつくりシステムを開発し、経済を発展させ、国民の生活を豊かにしてきました。当たり前のことを説明していますが、今の生活が、実は当たり前ではないことを知らなければならないのです。
少し大上段になりましたが、結局のところ、人はひとりで生きているのではありません。私たちは生まれてから最期まで、自らの役割を果たすために、多くの人に助けてもらいながら生きているのです。
とりわけ仕事を行う社会人として、より良く、そして思い通りに生きられるようにしていくためには、よいコミュニケーションをとることが欠かせません。そして、「どのような人間関係をつくるのか」を考えて行動することが大切である、ということを心の底から理解してほしいと思います。
よいコミュニケーションにより、よい人間関係をつくるためには、相手から好かれることが必要です。多くの場合、人間関係は大きく「好き嫌い」に影響を受けるからです。
もちろん、その感情をもつにいたる理由は複雑であり、人により異なります。また、好きや嫌いの感情を超えて、人間関係を維持しなければならないこともたくさんあります。しかし、好きであれば、物事をうまく進めることができるし、嫌いであれば、真剣に対応できないという、とても簡単な原理で人間関係が成り立つことが多くあると考えています。
相手から好かれるためには、どう行動すればよいのか。嫌われている原因は自分にあるとの前提に立ち、相手を鏡にして自分の行いを映し、自分を修正しながら、思い通りに生きられるための自分をつくることが本書のテーマです。
好かれる人には、「好かれるための態度や行動の要素」があります。好かれるために何をするのか、そのための体系的な枠組みCAN(キャン)モデルを説明します。
正しい仕事の姿勢(Correct attitude)、適切な行い( Appropriate action)、必要とされる人(a person Needed)の3つ(CAN)が、社会人として成功する要素であり、これらを身に付けて仕事をすることが必要です。
そもそも、相手が自分をどう思っているのか。単に好きか嫌いかという単純なレベルではなく、好きや嫌いには程度があります。
大好きや大嫌い、大好きが高じて愛している(=仕事においては、尊敬している)という気持ちや、大嫌いが進み、憎いという気持ちになることもあるでしょう。なんとも感じない、というレベルや、少し好き、少し嫌いというレベルもあります。
さらに、愛しているという気持ちの上に「慈しみ」の気持ちがあります。慈しみは、マーシーといいます。本書では、慈しみを含め、好き嫌いの気持ちを10のレベルで分け、マーシーレベルと呼んでいます。周りを見渡すと、自然にこうした行いをしている、できる人がたくさんいます。
彼らは本当に信頼できるし、誰からも好かれています。皆から、スゴイ人だと一目置かれている人たちです。彼らは自分なりの方法で、相手の自分に対する評価を機敏に感じ取り、自分の行いを修正しながら、成果を挙げています。
人の気持ちは、常に環境に左右されて移ろうものです。いわんややりたいこと、やらなければならないことのために闘わなければならない社会において、好かれ続けて仕事をすることはとても難しいことです。できる人たちの多くには、慈しみの気持ちがあることがわかります。 慈しみの気持ちをもつことが相手から高く評価されて、よい人間関係をつくり、仕事で大きな成果を挙げているのです。
慈しみの気持ちを意識しながら、目の前のミッションを果たすための好かれる行いが、今の社会では求められています。
CANやマーシーレベルの考え方を身に付けることで、誰もが相手を包み込む力をもつ自分になることができます。それは誰からも好かれ、愛されて、思うように生きられる自分をつくることを意味しています。
常に自分の行いを客観視し、好かれるレベルを拠り所にしながら、自分の問題点を修正することが癖になる——そうすることで、自分がどんどん変われていることに気づきます。
それは自己満足ではなく、相手の反応が変わることで実感できるものです。「こんなに喜んでもらえる、好きになってもらえるのか」を実感しながら、毎日自分が成長していることを感じられる喜びを生み出します。この連鎖は、あらゆる場面でコミュニケーションを活性化させ、よい人間関係をつくり、新しい価値をつくることでしょう。
皆が喜ぶ、よいコミュニケーションをたくさんつくり、よい人間関係を街に溢れさせることで、新しい価値をより多くつくりだす。一人ひとりがお互いを思いやり、好かれ合い、仕事ができる環境がつくれれば、これほど嬉しいことはありません。
なお、マーシーレベルの考え方は、仕事をする社会人を対象としていますが、CANやマーシーレベルを拠り所にした行いをする人は、仕事の場だけではなく、地域にも大きく貢献します。自らの行動を変え、自分を変革しながら好かれる力をもった多くの働く人は、家庭でも地域などプライベートでも、その考えや行いを実践し、思いやりに満ちた人間関係をつくりあげることができるからです。多くの方々が新しい自分をつくるために、本書が少しでも役立つことを願っています」
多くの人々に、本書を相手との距離を測り、自分を変革するためのツールとして、使ってもらえると嬉しいです。
(よい病院よくない病院の見分け方)
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