人がどう生きるか、というテーマは永遠のテーマだと思います。さまざまな価値観や考え方があり、これだというものを普遍化することはできません。結局は、一人ひとりの人間が、自分がどう生きたいのか、生きているのかを自分のなかで確認し、もし、自分の思いと異なる生き方をしているのであれば、それを修正する、あるいは修正しない、悩む、悩まない、すべて自分が責任を負って、最期を迎えるものだと考えています。
自分がどう生きたのかの証跡を残しても、残さなくても、それは自分の生きた結果であるし、例え、誰もが認める証跡を残したとしても、それはしばらくたてば、記憶のかなたに置かれるものだと思えば意味がない。
誰かに影響を与えることができれば、その思いや思想は残り続けることも可能かもしれませんが、それは宗教であったり、学問であったり、経営であったりするもので、とても限定的なもの。
少なくとも誰かに何かあるにつけ、思い出される人になることは、大きなことを成し遂げなくても可能かもしれない、と脈略なく思ったりします。
いずれにしてもそれは生きた帰結であり、求めるものではなく、それがなくてもすばらしい人生を送っている人がたくさんいることに気づきます。
私の周りは、そうした人で満ちています。皆正直で、誠意があり、もがき、苦しみ、しかし原点として人のために何ができるのかを考え、行動する経営者であったり、医師であったり、看護師であったり、職員であったりします。
自分にプライドをもちながら、さまざまな環境のなかで、身の置き所を捜しながら、折り合いをつけ、あるときは弛緩しながらも、自分の責任を果たしている人たちです。
彼らをみていると、自分も勇気づけられるし、鼓舞されます。自分の思った道をまっすぐ歩いていくことが自分であり、自分の存在を感じる自分でいられるのだと考えています。
肩ひじをはらずに、ただ実直に思いをもって、前に進む。自分が決めた、自分のできる最高のことを、やり切ること。それが自分の役割だと認識して、進めることができれば幸せな人生なのではないかと思います。今日、素晴らしい人達に会えて、またそう確認することができました。
人の命ははかなくて、哀しくもあり、だからこそ抗い、悔い改め、一歩でも前に進み続ける。生かされていることに感謝し、誰にも思いやりをもって、立ち上がることができなくなっても、思い続けることができる自分をどうつくりあげていくのかが、人生なのだと、思います。医療は厳しい環境を迎えます。結局は、それは政治のせいでも、世界経済でも、誰のせいでもない。私たちが対峙しなければならない、自分の責任で乗り越えていかなければならない課題です。国難ともよべるこれから来る時代を、私たち一人ひとりが、思い通りの人生を生きることで、どのように変えていけるのか。とても楽しみであり、身の引き締まる思いがあります。ホワイトヴィークルは闘います。